本と食べ物のブログ。

読んだ本、行ってよかった場所など。

親切な環境で忘れがちなこと

鶴橋に行って考えたことがあります。

 

コリアンのおっちゃんおばちゃんは、本場韓国と同じ感じで、サバサバ・テキパキした接客をしてきます。

 

こういうブログを書いている私ですが、リアルな生活で自己主張するのは全然得意じゃありません。

優柔不断だったり、内気な人間だと彼らのスピードについていくのが難しい時があります。

 

日本のサービスに慣れているのもあり、店員さんがタイミングを見計らってオーダーを聞きにきてくれたり、全てお客さん側に合わせてくれるのがデフォルトに感じていました。

 

でも外国ではそうじゃないわけです。私は中国にも旅行したことがありますが、呼び込み以外で過剰に丁寧or愛想良くする店員さんは皆無でした。

 

きっと世界では、お客さんとお店側は対等であるという意識が強いのでしょう。

お店側は食べ物を提供するという債務を負っており、それに対してお客さんはお金を払うという債務を負っているだけなわけで、理屈上、お店側が過度に下手に出る必要はないからです。

 

日本だと、どんな価格帯でもお店側が「お客様は神様」スタンスで、これが店員さんなどの労働環境を悪化させていると思います。

 

店員さん側になった時に過剰なサービスでストレスを溜め、

お客さん側になった時にその不満を解消するという流れになっているのだとしたら、全体としてすごい無駄に労力を使ってる可能性がありますよね。

 

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また、「これが食べたい」「これをしてほしい」と明確に自己主張できるようでないと、

世界の他の国では、自分の思った通りの人生を送ることはできないのだろうと。

 

世界に通用するかどうかという視点では、日本人は甘やかされた環境にいるのかもしれません。

 

自己主張をせず、相手に忖度するということは、ある意味、自主的に物事に取り組まない・考えないということにもつながっていると思います。

 

たとえば、私は公務員ですが、「これを改革したい」と思っても、

「それは上司の意図に反しているかもしれないから」

「そこまでやっても逆に周りの人に煙たがられるかも知れないから」

「だから考える必要はない」

という風になることがあります。

 

でもこれって、要は責任を取りたくなくて、周りのせいにしてるんですよね。

 

良い方向に改革をせず、責任を取らず、みんなと一緒でいいや、で放置していたら、結局困るのは自分ですよね。

 

アメリカとかでDXがめっちゃ進んでいるのに日本で全然進まないのは、そういう「和をもって貴しとなす」文化が邪魔をしている側面があると思います。

 

まとめると、時には空気を読まずに仕事をすることが大事だと感じました。