「限りある時間の使い方」感想②
p95〜125を読んだアウトプットと感想です。
完璧主義に陥って、あれやこれやと手を出しすぎて何も片付かない状態から脱して、
思い切って優先順位を決め、同時進行するタスクの数を制限するべきだ。
なぜなら、人間の注意力には限界があるからだ。
人間はSNSなど、ふと注意を奪われたものに何時間も時間を取られてしまうことがある。
その時間は、自分の人生を生きていると言えるのか?
テック企業があの手この手で消費者の気を引く戦略を取り続けることに対抗しようとして、SNSを一切シャットダウンしようとしても、
余暇を持て余してしまう現代人は、やはりネットの世界に戻ってきてしまうことが多い。
人生とは、「その人が注意を向けたことの総体」である。
だから、自分が何に注力したいのかを先ずは見極めて、それに時間を割くべきなのだ。
ボトムアップ型で思考し、ネットの情報や外界の情報につられて行動を起こすのは、生物としての本能ではあるが、
トップダウン型の自発的な注意力を持つことで、人生の質を上げることができる。
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人生は自分が注意を向けたことの総体だという定義づけが新鮮に感じた。
私を含め、多くの人にとって、人生はベルトコンベアを流れるように過ぎがちだと思う。
流れに乗った方が、考えなくていいから楽だ。
でも、それって自分の時間を社会から消費されているのと同じじゃないか?
ネットで知った他の人のやっていることや、生き方を安易に真似するのではなくて、まずは自分は何がしたいのかを内観して、そこから時間を配分することが大切なのだ。
そうすれば、今自分のやっていることに意味が生まれ、楽しんで過ごすことができる。
要するにマインドフルネス?が必要だと言うことなのかな、と思った。
そういえば、オノヨーコさんが、
「人生を行進しながら進むのではなく、踊りながら進むのが好き」
というような、この本とは対極のことを言っていたのを思い出した。
自分はヨーコさんの言うことにも一理あると思っていて、
不随意的な注意力で世界を感じること、例えば、
ふとした時に季節の移り変わりを感じたり、道行く人のファッションから着こなしのヒントを得たりすることもまた、人生を豊かにすることではないだろうか?
もしそういった、外界を感じとる行為までトップダウン型の注意力で行うとしたら、あまりにも味気なくないだろうか?
でも、マインドフルネスを身につけた方が、いたずらに外界に反応する人生よりも、より心穏やかに生きられそうなのも確かである。
人生を管理しすぎずに管理する(何について管理的になるかをゆるく見極める)ことが大切なのかな、と思った。