本と食べ物のブログ。

読んだ本、行ってよかった場所など。

行政書士の勉強法に関する検討をしたよ

法律の勉強では、教科書(一般的にいう学術書)を読んでから問題を解けと通っていた大学の先生が言っていたが、

 

資格試験の勉強でそれが効率がいいかと言うとそうでもないと思う。

 

問題が解けないと意味がないからだ。

(教科書を読んだだけで応用まで考えられる優秀な人は別だけど。)

 

かといってアウトプットばっかりやっていても、バラバラな知識が積み重なるだけな気がしていて、

 

やはり体系的なインプットも同時に行なった方がいい。

 

インプットはアウトプットにくらべ、時間がかかってしまうのだが、その辺をどう効率化するか。

 

平木太生さんの「司法試験 この勉強法がすごい!」という本に、

論点ごとのメモリーツリーをつくる記憶法がのって、これを応用できないかと考えた。

 

 

まず、問題を6問解く。

→間違えた論点に関して、テキストを読む(このとき、メモリーツリーをどのように書いていくかイメージしておく)。

→メモリーツリーを実際に書く。

→次の日に復習する。

 

というやり方はどうだろうか?

 

とりあえず1週間続けてみて、記憶が定着するか実験しようと思う。

自然人(行政書士の勉強まとめ①)

昨日、学んだことのアウトプットをしたいと思う。

自分の記憶に残るようにする試みだけれど、誰かの役に立つようになれば嬉しい。

 

 

民法上の権利の主体となれるのは、「自然人」と「法人」である。

 

法人は法律上「人」としての資格が与えられている存在のことである。

 

また、「胎児」は自然人なのか?という疑問がある。

結論、胎児は①不法行為に基づく損害賠償請求、②相続、③遺贈に関しては、既に生まれたもの=人として処理される。

ただし、実際に権利を行使するのは「出生後」に法定代理人を通じてである。

 

次は制限行為能力者についてまとめる。

 

「限りある時間の使い方」① 〜タイムマネジメントのあり方で考えたこと〜

タイムマネジメントに関する本は多くあれど、それを「人間はどう生きるべきか」という問いまで結びつけた本はそれほどないだろう。

 

「限られた時間の使い方」(オリバー・バークマン著)では、

産業革命以降、時計で測れる「時間」が登場したことで、

時間が切り売りできるものとして扱われるようになった。

そして人々は、「いかに限られた時間の中で多くのことを成し遂げるか?」に躍起になってきた、という。

 

しかし、ToDoリストをつくったり仕事の効率化を図ったとしても、

「自分が本当にやりたいこと」に永遠に達成できないような感覚を持っている人も多い。

 

なぜなら、色々な自己啓発の情報が氾濫する現代では、上には上がいて、「やらなければいけないこと」や、「やった方がいいこと」がとめどなく自分の生活に流れ込んでくるからだ。

 

これって、「今この瞬間を大切に生きている」と言えるのだろうか?

 

(だからといって、それらの流れを完全に止めることも、自己成長がストップしそうだけどな?と私は感じてしまったが。)

 

確かに、私も、よくある効率化のノウハウ本に書かれているようなことは、目の前のタスクを片付けていくためには非常に効果的だと思うのだが、

 

色んなことを効率化して、自分の自由な時間が増えたとしても、

「自分が人生で大切に思うこと」にその時間を注ぐことができなければ、それは幸福なのだろうか?と、この本を読んで気づいた。

 

ただ、自分としては、目の前にあるタスクが上手く片付いた時にそれなりの達成感があって、嬉しいこともあるので、

目の前のタスクに追われること=不幸か?というとそうでもない気もしている(社畜かな?)。

 

(p94まで読んだ感想。続きは後日。)

 

堀内果実園のパフェ。

奈良県にある果物屋さん、堀内果実園のカフェに行ってきました。

 

パフェが美味しく、ソラマチにも出店しているそうな。

 

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連れが選んだ和栗モンブラン

プリンの上にモンブランが鎮座しています。

プリンとモンブランの間に柿などのフルーツも入っているようでした。

 

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私が選んだ和栗モンブラン園(なぜか最後に「園」がつく)。

上のやつとは違って、モンブランの下は、ワイングラスのような容器の中にバニラアイス・栗アイス・レーズン・柿がフォトジェニックな感じで盛られている。

 

やっぱり旬だからか、柿が甘くフレッシュで美味しい。

 

奈良市ではいま、3年ぶりの正倉院展開催ということで、沢山の観光客で賑わっているが、

全く並ばずに入れてラッキーだった。

 

奈良に来られた際は是非ご賞味あれ。

 

外向型と内向型について。

外向型人間=アウトプットが好きな人、

内向型人間=インプットが好きな人、

 

なのではないだろうか?

 

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私は自分のメンタルが内向型だと思っている。

そして、外向型の人の方が、社会の色々な場面で有利だよな、ということを実感しています。

(MBTI診断をやってみても、やっぱり内向型だった(ISTP)。)

 

外向的な人は、自ら他の人と打ち解けようとするから、礼儀正しい・協力的な人柄だと他の人から認識してもらいやすいと思います。

 

だから、外向型っぽい振る舞いをして自分を変えようとしてみたり、

それがうまくいかないので、もう内向型でいいや、と開き直ったりもしました。

 

そんな中で読んだのが、

ジル・チャンさん著『静かな人の戦略書』。

 

著者のジルさんは、自分のことを他人と雑談をするのにもエネルギーを消耗してしまう、典型的な内向型だというが、アメリカのスポーツ産業のマーケティング職(外向型人間ばかりの分野)で成功した人。

 

内向型人間の良さを生かす、あるいは、デメリットを最小化するノウハウが、この本には書かれてありました。

「内向型人間が苦手とする場面」の例が随所に出てくるのだが、共感することばかり(つらい…)

 

 

読んでいる中で、私が考えたことは、

 

「内向型人間は、自分の内面に意識が向き過ぎている」

 

ということ。

 

自分の心の平穏を第一に考える人や、物事を落ち着いて、深掘りして考えたい人は、

他人の目線に意識が向かなくなりがちなものだと思う。

 

そういう人を客観的に見てみると、

「他人に対して配慮が足りない人」に映ってしまう。

 

ただ、内向型の人が他人に配慮していないかというと、それは逆で、むしろ色々な可能性を検討してしまうからこそ、沈黙してしまう人が多いと思う。

 

つまり、内向型人間は、

「色々考えてしまうが故にうまくアウトプットができない人」であり、

「情報を収集・検討することにじっくり取り組む力があるけれど、

それらをうまくまとめて表現することが得意ではない(=インプットに特化している)」

という特徴がある。

 

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一方、外向型人間はどうか?というと、

 

彼らは「他人と話しながら自分の考えをまとめていく」ことだったり、

「本や他の人から聞いた情報に基づいて自分でも行動を起こす(SNSでバズったお店に行ってみる)」

みたいなことを頻繁にやっている人たちだと思います。

 

アウトプットすることでこそ、

自分の記憶に残りやすくなったり、成果物が他の人の役に立ったりするものなのではないか?

と感じたということです。

 

底抜けに明るい人間にはすぐになれないけど、

自分の考えをまとめて発信するということが、社交性を上げるための第一歩なのかもしれないな、と思いました。